こんにちは、坂口です。

わたしはこれまで、出版社から3冊出してきたのですが……。「もう、出版社と仕事するのって、ダメかも?」って思ってきました。

出版社って、「恥ずかしくない本を出そう!」っていう気がないのかも?そう思ってしまった顛末をここにまとめます。

1冊目のT社

まず、1冊目を出した出版社。

ここは「持ち込み」で出してもらいました。数十社回って、ようやく出せたから嬉しかったですね。出した本は「忠臣蔵より熱を込めて」です。

初めの内こそ、かな~り浮かれていたのですが……。いきなり、

「編集はありません」

「エ……そんな……」

これはかなり焦りました(;・∀・)

どころか、誤字脱字チェックすらなかったんです!しかも、

「入れる図や地図の著作権は、自分で解決してくださいね」

もう、てんやわんやです。誤字脱字は自分で繰り返しチェック。著作権問題は、地図を載せてた某出版社に電話。忠臣蔵の研究会に顔を出して、有名な先生に原稿チェックしてもらったり……。

ようやく出版までこぎつけたのですが、その後も仰天の事実が待ってました。

自分の本を買いに行こうと思って本屋へ行くと、

「この本は販売されてませんよ?」

「エエッ!そんな、バカな!」

後で知ったのですが、T社は問屋に卸してないのです。なので、一般の書店では取り寄せもできない、と!完全にアマゾンだけでしか買えないのですね。

契約書には「主にアマゾンだけで販売」と書かれていて、「問屋に卸してない」は、わたしは全く知らなかったのです。知らない方が悪いと言えばそれまでですが、こんな出版の裏事情、駆け出しのわたしには想像もつかなかったのです……。

三冊目のC社

二冊目は自費出版なので割愛します。

わたしとしては、この三社目が一番許せないです。

一社目が「編集なし、著作権問題丸投げ」でしたから、「ここよりひどいところはないだろう。ここが大丈夫だったんだから、他も平気!」くらいに思ってました。

が、フタを開けてみたら、「T社って、全然マシだったよね……」って感じでした。C社と仕事してて、T社を懐かしく思うくらいだったんです。

打ち合わせがブチ切れレベル

ここも持ち込みで本を出すことになり、取りあえずオンライン会議で打ち合わせをすることになったのですが、この打ち合わせが「ケンカ売ってんの?」ってくらい失礼でした。

Zoomを開くと、頭はぼさぼさ、ヨレヨレのTシャツを着たおじさんが出てきてご挨拶。まず、この格好が「やる気あるのかな……」という印象でした。が、一番驚きだったのは、そのセリフ!

「まず、古すぎ。今の人には無理だよね。七十代くらいの人ならもしかしたらいけるかもしれないけど、その層がいなくなったら一冊も売れないんじゃないの」

「どういう人がターゲットになってるか聞きたいね」

と、まるでケンカ腰。よくもまあ、面と向かってここまで言えるもんだと思います。これから長く一緒に仕事するのに、これで仲が悪くなったらどうするつもりなんでしょうか?

「あの、ガチの三国志ファンじゃなくて、ゲームや映画などで三国志に興味を持った人をターゲットに……」

「そんな人、ほとんどいないでしょ」

これにはビビりました。「ほとんどいない」?何を言っているんでしょうか?三国志ゲームのファンなんて、数十万は超すでしょうに!映画やドラマだって、本場中国よりアツいと常々言われているのに……。

これだけでも編集者の無知に不信感を抱きましたが、さらに重ねてこう言うのです。

「僕は三国志って読んだことないんだよね」

……だったら、持ち込みを受け入れなければいいのに。もう、話す意味もないな、と感じました。

あまりにも適当な校正

まあ、でもそもそもが「編集なし」の出版社だったので、

「編集者が三国志に興味がなくても、読んだことがなくても、ハッキリ言ってバカにしてようがどうでもいいや。校正はしてくれるっていう契約だから、これさえちゃんとしてくれれば……」

と、思ってました。

が、これが全然ダメだったのです。数か月たって原稿を完成させ、編集者に送ると……何とわずか三日で送り返してきました!

これには仰天しました。校正って、こんな簡単に済む作業じゃないのに……。しかも、わたしの原稿は16万字です。ただ読むだけでもこのくらいの時間はかかるだろうに、本当に校正を済ませたのでしょうか?

……ちゃんとやってるはずがありませんでした。校正済原稿を開いて見ると、ほんの数か所、申し訳程度にちょこっと指摘してあるだけ。素人目でもわかる誤字脱字が、まだまだ残っている状態でした。

おそらく、パソコンの校正機能にサラッと通しただけだったのでしょう。それがありありと分かりました。

「ふざけやがって……!」

怒りで手が震えるのが分かりました。

編集なし、編集者による感想もなしっていうのは、こういうことか。そもそも作品に目を通してないから何もないのか。作品を無視している。ただの紙束扱いしているんだ!――と、編集者の正体をまざまざと見た思いがしました。

的外れな「意味不明」

そこで、結局校正もほとんど自分で行ったわたしは、

「読んでみたところ、他にもたくさん誤字脱字などが見つかりましたので、訂正しました。間違いがないかチェックをお願いします」

と、若干皮肉を込めて原稿を戻しました。

すると、またこの編集者はやらかしてくれたのです。

「弊社が行っている校正、坂口様にはご不満なようでしたから、わたしの好意で再度校正をし直しました。かなり厳しめになっておりますが、取捨選択はそちらでお願いします」

……まず、この返信に人格を疑いました。自分がスカスカな校正を行ったから、著者側の負担がひどく増えたというのに、この恩着せがましさは何なのでしょうか。しかも「わたしの好意で」と念を押しているところが、「仕方がないからお情けでやってあげます」と、著者を下に見ているとしか思えません。

これで、再び戻ってきた校正原稿がマトモだったら、まだ良かったのですが、この人にまともな校正を期待するだけ無駄でした。

チェックしてあるのがことごとく古文を使っている箇所。例えば「生(おう)る」という言葉に「はえる、いきる、が正しい」と書いてきたのですが、古文では「おうる」が正解です。

他にも何か所かワードの原稿に直接マーカーを引いて、

「意味不明」

と書いてきたのですが、これが三国志や漢詩の書き下し文を抜き出してあるところばかり(つまり原文ママ)。

「この人、本当に出版社の人間?意味不明って、いちいち書いてくる意味が分からない。つまり、この人が古文を読めないだけでしょ?」

仮にも出版社の人間が、全然古文を読めないなんて……。本当に、これには失望しました。第一、「意味不明」という言葉をいくつも投げつけられた人間が、腹を立てないと思っているのでしょうか?

勝手に決められた表紙

いくつもいくつも我慢を重ねましたが、本当に酷かったのがコレです。

表紙!

表紙については、「最終的な決定権は出版社側にあるが、著者の意向も十分に考慮する」というのが契約内容でした。

が、この編集者、わたしの意見は何も聞かないで、ある日イキナリ表紙案を送ってきたのです。

しかもそれが、ケバケバしい赤い地色の上に、イラストACから引っ張ってきたチャラい虎と竜の絵をドーンと乗っけて、ラーメンどんぶりみたいな模様でぐるり囲んでいるという……本当にフザけた表紙でした。とても三国志を取り上げたエッセイの表紙には見えない。ゲームを馬鹿にするつもりは毛頭ありませんが、安っぽいゲーム攻略書の表紙(にしてもヒドイ)にしか見えませんでした。

↓コレです。

「デザイナーさんに依頼して作ってもらった」

と、編集者はぬけぬけと言いましたが、これが無料画像を引っ張って、テキトーに作っただけの表紙なのは見え透いていました。本当にデザイナーさんに依頼したのなら、無料画像に同じ画像があるはずがありません。そんな見え透いた嘘をつくことが、また癇(かん)に障りました。

表紙は本の顔です。それを、イメージのかけ離れたものにするなんて許せません。さすがに頭にきたわたしは、

「契約書には、著者の意向を十分にくむとあるでしょう。わたしの意向はどこに反映されているのですか。作品とイメージが違いすぎます」

と抗議しましたが、相手はしゃあしゃあとこう言いました。

「ゲームなどで三国志を知った人向けだと言ってましたから、その意向をくみました。ゲームっぽくみえたならしめたものです。十分に売れるコンセプトがあるということですよ。それに、こう言うのは何ですが、わたしは販売のプロですから、任せていただけませんか」

……この時、わたしは「この人は信用できない人間だ」と、心底思いました。「デザイナーに依頼した」と嘘をつき、原作のイメージはまるで無視。ただただ、表紙に欠けるお金を浮かせるために、自分で適当に作った表紙を、わたしの作品に押し付けようとしているのです。

それに、本当にプロ意識を持っている人だったら、作品に対して強い責任感を持っているはず。売り上げだけを考えて、作品のイメージを踏みにじるような真似はしないはずです。「自分は経験を積んだプロだ」と、大きな顔をしたいだけなのです。

結局、わたしは散々編集者とやり合ってもめた挙句、

「虎と竜なんて日本の戦国時代の文化です!三国志には関係ありません!無関係の動物を表紙にしないでください!」

と、イラストACで龍と鳳凰の画像を引っ張って来て、それを使ってもらいました。それでも、ラーメンどんぶりみたいな模様や、ケバケバしい地色は変えてくれませんでした。多分、変える手間が面倒だったんだと思います。

出版後も裏切る

このC社、出版した後もわたしを裏切りました。

まず、SNSで「新刊情報」を流すことすらしない(一回たりとも)

その上、アマゾンの「作品内容」は間違いだらけでした。「主な登場人物」が違う人物だらけなのです。

これにはわたしもキレました。

「やっぱり、作品をまったく読んでないんだ。主人公すら分からないなんて……」

あと、許せなかったのがこの文章。

「文章が講談調で、とにかく読みやすい」

とあるのですが、この「講談調」という言葉。

わたしの作品の文章はいささか独特で、今はほぼ使われていない講談調を多用しています。この文体は試行錯誤の末たどり着いたもので、結果、歴史好きな人たちから好評を得るまでになっていました。

他の何人かの編集者さんや書店員さんからも

「この講談調の文体を使う人はほとんどいない。これが坂口さんの個性だから、変えない方がいいですよ」

と言われていて、まあ言わば、わたしの数少ない「売り」だったわけです。

ところが、このC社の編集者、数度にわたって

「この文章は講談じゃない」

と、しつこく言ってきたのです。

「講談調の文章で書くって言ったわりに、これは講談らしく感じられませんでした」

……とにかく、こんなやり取りが幾度もあって、さんざんわたしの「講談調の文体」を否定したくせに、アマゾンの作品説明では「文章が講談調で、とにかく読みやすい」?

よくもこんなことを書いたものです。あれほど否定して「講談じゃない」と決めつけたのなら、「文章が講談調」だなんて書いちゃダメです。それは、出版社が「この本の文章は講談調で書かれている」と、公に認めているということなんですから。

「この人には、自分の言葉に対する責任感がないのか?」

と、呆れ果ててしまいました。

自社のホームページで嘘をつく

さらに、この編集者は自社のホームページに、こんな大ウソをついていました。

「編集で心がけたこと
著者様にこだわりがありましたので、それを全面的に尊重して、できるだけご希望に沿った本づくりを行いました。」

編集で心がけたこと……?編集は一切なかったのに。しかも、いつわたしの「こだわり」を尊重したことがあったのでしょう。アドバイスや助言はおろか、酷い表紙を押し付けられて迷惑しか被ったことがないのに。

この編集者、わたしだけでなく、読者まで裏切っているのです。

まとめ

ずいぶん長々と書いてしまいました(書いているうちに怒りが募りまして)。

でも、「これから出版しよう」という方にとって、「こんなひどい出版社の餌食になってはいけない!」という、一助にでもなれば幸いです。

こうして、今、二社で起こったことを振り返ってみると、本当に問題なのは「出版に携わるくせに、編集者が本に関心がない」ということです。

編集をしないということは、すべて著者まかせで、「著者一人ではたどり着けない、より良い作品を作ろう」という意思がない証拠。

ろくに校正をしないということは、誤字脱字などの間違いをゼロにして、読者の目にさらしても恥ずかしくない作品にしよう」という意思がない証拠。

すべての手間を著者に負わせて、自分が行う作業は、奥付をつけてアマゾンにデータを流すだけ。

つまり、作品を「データ」としか思ってないのです。アマゾンに流しさえすれば、印税をいくらか稼ぐ、ただの「データ」。自分が汗を流して、それをより昇華させようとは思ってないのです。

今、出版社の三割超は赤字で、低迷が続いているとニュースでも取り上げられています。読者の「活字離れ」が大きな原因だ、と言われていますが、わたしは「読者側の問題」だけではないと思います。

出版社が良い本を作ろうとしなくなったから、読者に見切りを付けられてしまったのではないでしょうか?

今、本当に「良い作品」を作ろうと著者が思うなら、編集も校正も表紙も、自分で何とかしなければならない。自分で良い作品を作る道を探さなければならない、と、今考えているところです。